*出身地 京都です。 幼稚園から京都に住んでおりますが、
両親、先祖代々、親戚一同 岐阜です。
経歴
私の歩んできた道は、1つは ハンドバッグの卸業。
大学を卒業後、今に至るまでこの業界をひた走り。
23歳で誘われてバッグの製造卸の会社を作り(ビーズバッグ専門と米国に輸出。)
輸出業務も覚える。
デザインの経験がないため、必要に迫られて、
型越しから独学で、自分のセンスでデザインを始める。
4歳から習い始めた日舞の着物、歌舞伎の衣装の色あわせなどを取り入れ、
オリジナル商品を作り始める。
25年前に自分の会社をたちあげる。韓国次いで中国での生産に切り替える.
香港貿易発展局の展示会やその運営のネットで提携工場を開拓、
エイジェントをいれずに直で、
素材探しから型迄考えたオリジナル商品を広州、東筦、珠海の数社で作り、
日本国内で、問屋に卸しております。
どの工場とも信頼を保って長年取引、今まで一回も輸入の失敗はありません。
自社ブランドで販売しております。
どんなハンドバッグを販売しているか、こちら http://maleta-web.com/
販売方法は組合主催の展示会と後のフォロー、
5年前からインターネット販売 (netsea と amazon に出店)しております。
オリジナル商品――0から作るのでなく、
ヨーロッパやニューヨークコレクション、スーパーブランドからヒントを得て、
そこから、素材選びや、型等について、応用、工夫を加えて、オリジナル商品を創ります。
商品が大ヒット、展示会ではいつもお客様があふれるほど来ていただけ、
問屋様の中には、
「買う、買わないは別にして、御社の商品だけはみておかないと」とか、
「展示会場の中で、1番デザインが良い」と言っていただいた。
今から思えば夢のようないい時期でした。
このころ、デズニーランドに行かれた方が、
来場者の女性が持っておられたバッグ(猫バッグ)を見て、
自分も欲しいと、その方に買われたお店を聞かれて、東京まで買いに行かれた。
でも残念ながらそのお店では売り切れ、
ネットサーフィンで当社の商品であるとたどり着かれて注文を頂きました。
とても嬉しく思いました。
こんな経験もあります。3年前、事業の後継者(当時44歳)と中国へ出張、最終日に香港のホテルで脳溢血にて死亡、
いろいろ手続きを経て1週間かけて彼を京都まで連れて帰りました。
彼の死により、右腕を奪われ、会社の存続も危うかったが、
同業者、組合、友人たちが、4か月間、
毎日、2~3人が全くボランテイアで手伝いに来てくれ、
仕事の作業も助かりましたが、それ以上に精神的にも救われました。
以前は、私は比較的、人に支えてもらうより、支える方だったので、
此の時ほど人の情け、温かみを感じたことはありませんでした。
2つ目の歩んできた道、日本舞踊
4歳から舞踊家になるために指導を受ける。
22歳で師範名執。自分の会社立ち上げまでは、弟子をとって教えている時期もありました。
自社立ち上げ後は教える時間が取れず、断念、その後は自分の修行のみ続ける。
舞踊の上達のために、 長唄、三味線 を習う。
同時に 茶道も数年間習う (踊りの所作に お点前、袱紗捌きの所作があるため)。
生きる指針
父の教えの中に、
物事にぶつかったら、ワンサイドからだけ切り込んで、だめならあきらめるのではなく、
可能な限りあらゆる面から切り込んで解決にあたるように、
そうすれば必ず道が開ける。
思い通りの結果にならない時もあるが、それだけ努力をすれば悔いは残らない。
また、この世で起こったことはこの世で収まるから、問題を抱え込まないように
とも言っておりました。
この父の教えが日々の私の指針になっております。
父の生きる道 ーー 世の為、人の為 道を修めて幾星霜、わが人生に悔いはなかりき
このように私も行きたいのですが、なかなかですね。
母から学んだこと
常に感謝の気持ちを忘れないで毎日を過ごすこと
性格
私が1番嬉しい時は、人の温かさに触れたとき、だから私も人に暖かさを感じ取ってもらえる
人でありたい。
人との付き合いは、
すぐ相手の気持ちになってしまい(ペットに対しても)、その気持ちにこたえようとする。
自分のことより、相手の気持ちを優先して動くので、
自分のことが置き去りになり、いつも時間がタイト、睡眠不足なのです。
* ファッションに興味があります。 自分らしい個性を大切にしております。
*大きい舞台で何度も踊っておりますのに、人前で話すことは苦手、
理由は目線が相手と近いから。茶道のお手前も、お客様との距離が近いので、
めちゃめちゃあがります。
気が強くて、アレーと思うほど気の弱いところもあります。